末永幸樹 プロフィール
相場の未来を読み解き、自由自在に利益を生み出す若き21歳の天才トレーダー。
わずか7回のトレードで、1618pips、807万円など、普通では考えられないレベルで利益を増やし、普段は1回のトレードで100万円、200万円、勝率100%が当たり前。
13歳の若さでFXに出会い、スイングトレードロジック「Futureロジック」を開発した。
天才的な成績を叩き出している彼だが、母子家庭で育ち、幼い頃は貧乏な生活に苦しみながら人生を送ってきた。
その状況下、人生のすべてをFXにかけ、考え抜き、編み出したのが「Futureロジック」であり、このノウハウを伝授する『ネオ・ジーニアスFX』で講師デビューを飾ったのは弱冠20歳の時であった。
逆境を力に変え、今では数多くの成功者を世に輩出。
最速レベルでトップ講師の1人として君臨する。
講師 | 末永幸樹 |
免許・資格 | 情報処理3級、簿記3級、ビジネス文書3級、そろばん3級 |
使用する証券会社 | XM、Tita、Alpari |
デイトレード、スイングトレード | |
ロジックスタイル | 裁量トレード |
長期足を使ったハーモニックトレード (長期足であるため、チャンスが少ないことからほぼ彼と同じ場所で取引することになる) |
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トレードしない時 | 既に1日、2~3回トレードしている時 |
趣味 | 映画、旅行、人生勉強、色々と語ること |
特技 | 常にポジティブでいること、物事を楽観視する考え |
過去教材一覧 | ・ネオ・ジーニアスFX ・Pay Forward Family |
プロトレーダーが語る、成功への架け橋
これまでどのような勉強をしてきましたか?
私は金融業界について、13歳の頃から足を踏み入れているのですが、当時は、極端に情報が少ない時代だったと強く思います。特に“金融”の世界はとにかく複雑で、数多くの専門用語もあり、独学で行うには相当な知識量と忍耐力が試される世界でした。
とにかく自分で色々と考えて、試行錯誤をしながら、1つずつアイデアを消化していくしか方法がなかったので、そのちょっとした気づきを自分で得ていけるかどうかが物凄く重要でした。
そんな中で私は、為替相場をメインに研究したことによって、各市場においても値動きに強くなれた部分が大きいです。
少しでも無料でインターネットに出ている情報があれば洗い出し、またチャートを大量に印刷して相場動向を研究するなど、本当に日々、奮闘していたのを今でも覚えています。
当時は、思いついたアイデアをiPhoneのメモに書き留め、それに沿ってチャートの動きと照らし合わせていくという作業を何千回と繰り返し、結果、今の考え方にたどり着けました。
もちろん、カスタムなインジケーターも含め、これまで無数の研究してきました。
今となっては、Googleで検索するとたくさんの情報を得ることができますし、比較的、優しくなってきている反面、個人投資家が増えることによって、流動性も高まり、相場がこれまでと少しずつ変化している様も見受けられます。
勝てるようになったと実感できた瞬間
私自身は、ある一定の気づきによって、勝てるようになったということではなく、無数のアイデアを1つずつ消化していくことによって、必要な知識が蓄積されていったというイメージです。
ですので、相場の世界、金融の世界の両面を学ぶことができたのですが、結果というのはどんな分野においても、大部分の一部でしか過ぎません。
これは、相場にも当てはまることで、今目の前にある「値の動き」というのは、大きく見た際の一部分でしかなく、値の動きの「存在」は無限なのです。
そういった俯瞰さを持つことによって、相場を大きく捉えていくことが重要であるということに気がつきました。
座右の銘
memento mori.
これは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」「死を忘るなかれ」という意味を指しています。
哲学やスピリチュアルにも関心がある私は、生と死についても、深く考えたことがあり、色々と考えた末、生と死は繰り返し行われていることに気がつきました。
つまり、生と死というのは、人間による勝手な固定観念で縛られているだけであって、本質的には、それ自体に始まりも終わりもなく、その「存在」は無限であると考えています。
また「無」は定義上、存在せず、存在できないのだから、それ以外の残ったものが「存在」になります。
つまり「存在」は無限を意味し、何もないところから存在を創造することはできないので、従って宇宙の創造者は存在しないということに気がつきました。
これまでにした贅沢な体験を教えてください
私が一番初めて高い買い物をしたのが、18歳になってすぐの時でした。
知人の社長が車屋を経営していたということもあり、手にするきっかけになりました。
ちなみに買ったにしても、当然毎日乗るわけではなかったので、この車は1年ですぐに別の会社経営をされてらっしゃる方に売却してしまいましたね。